2011.2.25

アドワーズの公式ブログ(英語版)で発表された通り、複数の広告をローテーションで表示させる場合、今後は、アドワーズでも「均等表示」「クリック率重視」に加え、コンバージョン率の高い広告を優先的に配信するというオプションが設定できるようになりました。(2/25 17:30時点では、日本語版のアドワーズ公式ブログに記載はありませんが、管理画面を確認したところ、本機能は日本でも使えるようになっているようです。)

具体的には、以下の画面にある通り、アドワーズの管理画面からキャンペーン>設定>詳細設定>広告掲載:広告のローテーションで設定が可能です。

adwords

ちなみに、「コンバージョン重視」の前に、文字化け(?)と思われる }のマークが付いているのはご愛嬌、ということで。。。(笑)

なお、先に「アドワーズでも」と書きましたが、ご存じの通り、ヤフーのスポンサードサーチでは、従前より、「ビジネスの目標値」で「コンバージョン」を設定した上で、広告グループレベルで広告表示の最適化を「オン」にしておくと、コンバージョン数(「率」ではありません)の多い広告が優先的に表示されるように設定することが可能です。

yahoo

リスティング広告の費用対効果を高めるため、こうした機能も試してみてはいかがでしょうか?

(by Rod Hiroto Izumi, Founder & Co-CEO, Le Grand)




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2011.2.21

最近、検索について、随分とネガティブな論調の意見が増えているように感じています。

もう10年近く、検索に関わる仕事をしているので、余計にそう感じるのかもしれませんが、実際、「検索なんて古い。これからはソーシャルでしょ。」とか「検索エンジンの存在意義が失われつつある中、検索エンジン対策に力を入れる意味はあるのか?」などと、面と向かって言われることも増えています。

もちろん、ソーシャルメディアの普及により、モノやサービスを手に入れようとする時に、人々が情報を収集するための方法や、また、そうして入手した情報を取捨選択し、その上で、何を買うかを決定するまでの心理的・物理的なプロセスにも、大きな変化が起きているのは間違いありません。それゆえ、多くの方が指摘や論考されている通り、本来、人々にモノやサービスを買ってもらうことを促すという役目を負った広告についても、そのあり方を大きく変えていく必要があるという点は、まさにその通りだと思います。

ただ気になるのは、そうした話の中で「だから検索はダメなのだ」的な論調が見え隠れしている点です。

そもそも、このブログでも何度か書いていると思いますが、検索が得意とするのは、既に顕在化した需要を効率よく取り込むことにあります。一方で、人々の間にクチコミを広め、延いては買いたいという需要を創出したりする力は、検索にはありません。でも、これは、ソーシャルメディアが台頭する以前から変わらない事実であり、少なくとも、ソーシャルメディアの隆盛が原因で、それまで検索が果たしてきた役割の一部もしくは全てが失われた、ということではありません。

にもかかわらず、なぜ「ソーシャルメディアの隆盛によって検索が没落する」といったような議論が後を絶たないのかについて、少し考えてみたいと思います。そこには、大きくわけて次の3つの要因があるのではないかと思っています。

1. 大きくなり過ぎたグーグルへの反発
2. 検索結果の精度(適合性)と役割についての混同
3. 海外(特に米国)メディアの影響

以下、それぞれについて考えてみることにします。

1. 大きくなり過ぎたグーグルへの反発

日本は例外的な状況にありますが、世界的にみると検索エンジンの世界では、グーグルが、ほぼ「一人勝ち」といっても良い状況にあります。そして、大きくなれば、当然、それだけ反発も強まります。

特に米国では、建国以来、個人の自由を尊重するというDNAが国民の多くに受け継がれているせいか、特定の企業や人、あるいは政党に多くのシェアや権限・情報が集まり過ぎると、個人の自由や権利を脅かす懸念が高まるとして警戒感を持ちます。こうした心情は、もしかすると日本人には理解しづらい部分かもしれません。

たとえば、米国では、SESという検索やソーシャルをテーマにしたカンファレンスがありますが、ここでは、もう3〜4年前から「グーグルの次に来るモノは何か?」というテーマでディスカッションが行われていました。ですが、当時、まだフェイスブックもTwitterも、今日のような勢いはなく、「グーグルの次は、やっぱりグーグルしかないのか」という結論に、「憤懣やるかた無い」という雰囲気が漂っていたのを覚えています。

しかし、今日、少なくとも米国においては、「フェイスブックやTwitterが、グーグルを脅かす地位にある」と発言に異を唱える人は少数派でしょう。こうした状況を見て、これまでグーグルの「一人勝ち」を苦々しく思っていた人たちが溜飲を下げている、という側面は間違いなくあると思います。

一方で、こうした風景を我々は10年くらい前にも見ています。それは、グーグルが台頭してきて、マイクロソフトを脅かすまでに成長した、あの時、グーグルの急成長を、胸のすくような思いで見ていた人はたくさんいたはずです。

2. 検索結果の精度(適合性)と検索の役割についての混同

これは、ややテクニカルな話になるので、つまらないかもしれませんが、少々お付き合い下さい。

これからは検索じゃなくてソーシャル、という理由として、よくあげられるのは「自分に有益な情報にたどりつく確率は、検索よりもソーシャルメディアの方が高い」といった論調です。確かに、検索エンジンのアルゴリズムが高い評価を与え、検索結果の上位に掲載された情報が、常に自分にとって「有益」と思える情報であるとは限りません。

その点、確かに、自分と趣味や好みが合う人たちを中心に形成されたソーシャルグラフであれば、その中を行き交う情報についても、「自分好み」にフィルターがかけられているので、有益と感じられる情報に出会える確率は高いのかもしれません。でも、一方で、自分が探したいと思っている情報が、そんなに都合よく出てくるとも思えません。

たとえば「いつか行ってみたいレストラン」について日頃から情報収集をしておくという目的においては、ソーシャルメディアに優位性があるのでしょうが、一方、「明日の接待に使える銀座の和食の店」を探さなければならないといった状況においては、やはり検索という行為は無くならないように思います。少なくとも、前者が後者を圧倒した結果、検索エンジンの存在意義が消滅する、といったことは起きないのではないでしょうか。

それと、もう一つ、これは別の観点での議論になりますが、検索エンジンについては、スパム(=自分のサイトを上位掲載させようと検索エンジンの裏をかく行為)が横行しているため、検索結果にはもはや信頼が置けないので、今後は、「ソーシャル検索」が主流になる、といった議論もあります。簡単に言うと、たとえばフェイスブックで「いいね」をたくさん集めたコンテンツや、フォロワーやRTの数が多いツイートからのリンクが、検索エンジンでも高く評価されるようになるので、従来のアルゴリズムを前提とした検索エンジン対策は早晩消滅する、といった話です。

確かにグーグルやBingは、最近、ソーシャルメディアからのリンクも掲載順位の判定要素に加えていることを認めています。しかし、一方で、「いいね」やフォロワーの数などを単純に判定要素に加えれば、今度は、それを狙った新たなスパムが出てくることは火を見るよりも明らかです。

それゆえ、今後は、従来のページランクに相当する「ソーシャルランク」のような指標、つまり、同じTwitterからのリンクであっても、ツイートしている人の権威や、ツイートしている人と、ツイートされている内容との関連性などによって、リンクの評価を変えるようなアルゴリズムを開発できなければ、ソーシャルメディアからのリンクを評価に取り入れただけで、検索結果の精度があがることはないでしょう。

3. 海外(特に米国)での論調の影響

日本において「もう検索はダメだ」といった発言を見ていると、面白いことに、検索エンジン=グーグル、ソーシャルメディア=フェイスブックという前提で話をされる方が多いようです。

しかし、ご存じの通り、日本の検索エンジン市場においては、ヤフーがグーグルをずっとリードする状況が続いています。さらに、ヤフーが、グーグルの検索エンジン採用を発表した際、むしろ、SEOに携わる業界関係者の中では、それまでのヤフーのエンジンよりは、グーグルのエンジンの方がスパム対策はしっかりしているので、これを歓迎する声の方が多かったように思います。

にもかかわらず、検索がダメになる理由として、「グーグルのスパム問題」が日本において持ち出されることには、正直、違和感を覚えます。

ただ、考えてみると、日本において、こうした発言をする方の多くは、おそらく海外からも積極的に情報収集をしているため、結果として、前述のような米国における「アンチグーグル」的な心情に端を欲するグーグル批判についても、そのまま「直輸入」されてしまっているのではないかと思われます。

同様に、ソーシャルについても、日本でのフェイスブックユーザー数は、まだ3百万人程度と少なく、現時点で、これがヤフーやグーグルを代替するだけのパワーを持ち得るのかという疑問は残ります。もちろん、日本ではフェイスブックではなく、mixiがその役割を果たす可能性もあるのでしょうが、だとすれば、日本においては「ヤフーは、このようにしてmixiにとって代わられる」という議論が、もっとなされても良いように思います。

以上、思うことを長々と書きましたが、最後に一つ。よくお読み頂ければ、お分かり頂けるとは思いますが、本コラムでは、別に「検索万能論」を振りかざし、返す刀でソーシャルの可能性を否定する、といった議論を展開している訳ではありませんので、その点は、くれぐれも誤解なさらないで下さい。

むしろ気になるのは、これまで、検索にまつわる議論の多くが、例えて言うなら、ローゼンのVelocity Scaleの「右端」と「左端」で戦わされてきたために、今また、ソーシャルの台頭を巡って、似たような議論になっていく可能性があるのではないか、という点です。

確かに、(その理由は動機はさまざまですが)検索の「効果」や「優位性」を訴える人の中には、スケールの右端、つまり広告の効果とは、すべからくダイレクトレスポンスの有無によって評価されるといったことを言う方も少なからずいます。一方、そうした考え方に反発する人たちの中には「検索エンジンマーケティングなど広告とは認めない」と切って捨てるといった具合です。

最近読んだ本で、検索を「後出しジャンケン」と表現されていたのを見て、思わず苦笑してしまいましたが、おそらく、これが、検索を否定的に見る方々の間にある「空気」を体現しているのではないかと思います。

ただ、米国のカンファレンスなどを見ていると、既にそうした議論は2〜3年前には卒業しており、「後出し」して勝てるなら、それはそれでやるべきだ。だが、「後出し」で勝たせてもらうだけじゃ、ビジネスは大きくならないから、それ以外の方法もきちんと考えようよ、という流れの中で、ソーシャルや検索、あるいはターゲティング広告など、全体を俯瞰したメディア・コミュニケーションのプランニングや、アトリビューション(=成果の配分)モデルなどに議論は移っています。

3月にニューヨークで開催されるSESでは、こうした点について、どのような議論が行われるのかを見てきたいと思います。このブログでも、随時、情報を共有していきたいと思いますので、どうぞ、お楽しみに。

(by Rod Hiroto Izumi, Founder & Co-CEO, Le Grand)



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