先日、米国で放送された”Bloomberg Game Changers”というドキュメンタリー番組で、Googleの共同創業者セルゲイ・ブリンとラリー・ページの二人が採り上げられました。
Bloomberg Game Changers: Sergey Brin & Larry Page
http://www.bloomberg.com/video/64111786/
全編約48分かつ全て英語ではありますが、検索業界で仕事をしている方、Googleの生い立ちから、現在および将来の課題までを簡単に知っておきたい、という方には、一見の価値のあるドキュメンタリーだと思いますので、本ブログでは、その概要とあわせてご紹介をしたいと思います。
【二人の生い立ち】
・セルゲイは当時のソビエト、ブリンは米国ミシガン州で、ともに1973年にユダヤ人の家庭に生まれる。
・セルゲイの父親は数学者であったが、ワルシャワでの国際会議に参加した際、西側の科学者と交流したことをきっかけに、セルゲイが6歳の時、米国への移民を決意。
・セルゲイへの父親の教育方針は「絶対に1番になれ」
・ラリーの父親は、一族で初めて大学に進み、その後、コンピューターサイエンスの教授となる。
【大学時代】
・スタンフォード時代の指導教官によると、二人の性格は「セルゲイは、ノックもせずに教授の部屋にいきなり乱入してくるタイプ。ラリーも、部屋に乱入はしていくるが、一応、その前にノックだけはするタイプ」とのこと。
・当時の検索エンジンは、レスポンスも遅く、かつ品質も低かった。「Alta Vistaで”Alta Vista”というキーワードで検索しても、Alta Vista自身が検索結果に表示されないというありさま。」
・これに対し、二人は、まず世の中の全てのウェブサイトをダウンロードして、そこから効率的な検索につながる何らかの「パターン」を見つけようと考えた。
・その結果、行きついたのが「外部リンク」をサイトの評価基準として利用すること。
・サービスの名称は、膨大なデータを整理するというところから「10の100乗」を意味する「Googol」を文字って、「Google」と命名。
・当初は、スタンフォード大学のネットワークの中で立ち上げたが、あっというまに、学校全体のネットワークのリソースを使い切ってしまい問題に。
【Googleの船出】
・本格的なサービスとして開発を進めるには資金が必要ではあったが、当初、投資家達は「6番目の検索エンジン」の必要性には懐疑的であった。
・そんな折、スタンフォードのキャンパスで偶然出会ったアンディ・ベクトルシャイム(サン・マイクロシステムズの共同創業者)に、約20分間のデモを見せたところ、その場で10万ドル(約850万円)の出資を受けることに。(ところが、この時、グーグルは法人を設立しておらず、小切手を換金するための銀行口座も無かった。)
・その後、最終的には100万ドル(約8,500万円)の資金調達に成功するが、その中には、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏からの25万ドルも含まれていた。
・この資金を元手にオフィスを作い、社員の採用も開始。
・優秀なエンジニアを採用するため、入社を希望する者に対しては、全員SAT(日本でいうとセンター試験のようなもの)の成績表の添付も義務付けられていた。
・この頃になると、有力ベンチャーキャピタルであるKPCB・セコイアからもアプローチを受けるが、セルゲイ・ラリーはVCに過剰にコントロールされることを嫌いVCからの「単独出資」の条件は拒絶したが、それでも25万ドル(約21億円)の調達に成功。だが、売上は全くあがっていない。。。
・当時、セルゲイもラリーも、Googleのビジネスを、広告収入に依存するモデルにはしたくないと考えており、特に、検索の品質改善を追求していた二人にとって、検索結果がお金(広告)でコントロールされるということも許容することはできなかった。
・だが、最終的には検索連動型広告「AdWords」のシステムを提供することで、Googleの本当の躍進が始まることになる。(注:検索連動型広告というビジネスモデルを世に広めたのは、オーバーチュアを創業したビル・グロスだが、その点について、このドキュメンタリーの中では言及されていない。。。)
・2000年には10億ページをインデックスする巨大な検索エンジンとなったが、一方で、Googleを創業したのは誰なのかということは、当時、世の中には殆ど知られておらず、このビデオの中では、セルゲイ自身が、「本物は誰だ?」のような番組に出演していた様子も紹介されている。
【急成長そしてIPO】
・Googleが急速な成長を始めるにつれて、出資していたベンチャーキャピタルは、巨大企業の舵取りができるプロの経営者が必要だと考え始めた。
・セルゲイもラリーも、自分達で経営はできると考えていたが、最終的にはベンチャーキャピタルの説得に負けて、外部から経営者を招聘することに合意。
・その過程で、実はスティーブ・ジョブズにも、CEO就任を持ちかけていたというエピソードが紹介されている。
・最終的には、現在もCEOであるエリック・シュミッド氏が就任することになる。
・2004年には株式公開も果たし、時価総額230億ドル(約2兆円)の巨大企業が誕生。
【成長と挫折】
・Gmailは、Googleのエンジニアリング気質が生み出した秀逸なサービスではあったが、その技術先行の姿勢が災いし、サービス提供と同時に「Googleがメールの中身を見ているのでは?」というユーザーの疑念をも招くことになり、その後、今日まで、Googleは「プライバシーの保護」という問題と戦い続けることになる。
・Android携帯や、Chrome・Google Docなど、次々の新たなサービスを展開していく中で、アップルやマイクロソフトも敵に回すことになり、ついにはGoogle自身が、その大きさゆえに「市場を独占しようとしているのではないか?」という疑念や批判を浴びる存在になっていく。
・一方で、「ソーシャルメディア」的なサービスの投入には成功しておらず、フェイスブックのような新興勢力に足元を脅かされつつもある。
・中国進出にあたっては、当局からの検閲要請を受け入れるという苦渋の決断も。(セルゲイ自身は、かつて父親が、旧ソビエトの共産党政権による検閲に苦しんだという過去もあり、彼自身にとっても苦渋の決断であったとのエピソードも紹介。)
・セルゲイもラリーも結婚して、それぞれ一児の父親に。ただ、セルゲイは、パーキンソン病を発症する可能性の高い遺伝子を持っていることが判明。
・そこで、パーキンソン病の治療方法を解明するために、資金や自身の遺伝子情報を提供するほか、研究開発にコンピュータサイエンスの手法を取り入れるといった取組にも積極的に関与。
(by Rod Hiroto Izumi, Founder & Co-CEO, Le Grand)
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