2010.11.04

10/28(木)〜29(金)に東京で開催されたad:tech tokyo 2010。東京での開催は2回目となりますが、事務局の発表によりますと、今年の来場者数は2日間で延べ10,559人、実人数で6,321人(前年比199%)と、大盛況の内に幕を閉じました。

昨年は、聴衆として基調講演やセッションに参加し、話を聴くだけでしたが、今年のad:techでは、先にご案内をさせて頂いた通り、展示会場にて、ブースの出展を行う一方、弊社代表の泉は「サーチキャンペーンにおけるオフライン戦略の最適化手法」と題したセッションにて、モデレータを努めるなど、文字通り「参加」をさせて頂くことができました。

【セッションに参加を頂いたパネリストの方々】
adtech_tokyo_イントロ

まずは、モデレータである泉の方から、本セッションの背景として、米国では既に2年以上前から、コンバージョンへの直接的な貢献だけをもって、検索の効果が「過大評価」されている現状を見直すべきである、という議論が起きており、それに対する解決策として「アトリビューションモデル(=オフライン広告など他チャネル・媒体の間接効果も含めた評価や成果配分のモデル)」の必要性が訴えられている、といったお話をさせて頂きました。

【検索はそんなに偉いのか?】
検索はそんなに偉いのか?

続いて、パネリストの方々からのお話に移り、まず最初はパナソニック電工の岩見さんより、B2B広告主の立場からみた、WEBやネット広告の位置付けについてお話を頂きました。B2Bにおいては、WEBサイトが購入検討段階はもとより、購入後も製品やサービスに関する重要な情報源として利用されているという特徴や、WEBにおいて提供されている情報に対するユーザーの満足度を端的に測る指標として、特に、「再来訪率」などの指標に注目して測定・検証を行っているというお話がありました。

【パナソニック電工 岩見さん】
パナソニック電工_岩見様

続いて、クロスリスティングの国枝さんからは、「桃ラー」というキーワードについて、Twitter・ブログ・検索における出現頻度を時系列的に追うことで、「桃ラー」に関する口コミがどのように拡散し、今日の「ラー油」ブームに繋がったのかが見えてくる、といったお話など、いくつかのケーススタディをもとに、直接的には測定が難しいオフラインでのキャンペーンの効果についても、検索やソーシャルメディア上での数値を丹念に追っていくことで、相当程度、データによる補足が可能であるというお話を頂きました。

【クロスリスティング 国枝さん】
クロスリスティング_国枝様

一方、アドビシステムズの渡邉さんからは、コンバージョンの測定にあたっては、リスティング広告などオンライン広告を起点にしながらも、最終的な購入や申し込みが、電話やファックスなどのオフラインに流れるケースについても、ツールの導入を含めた、測定のための工夫が必要であるというお話がありました。

【アドビ システムズ 渡邉さん】
アドビシステムズ_渡邉様

最後に米国から参加したMotivity MarketingのKevin Ryanさんより、米国における検索とオフラインなどの統合的なキャンペーン展開の現状について、実際の事例を中心にご説明を頂きました。その中で、今年初めに起きた米国におけるトヨタ車のリコール問題を例に、これはオフラインでの広告やPR活動などとソーシャルメディア上での活動が見事に「統合」された事例だが、残念ながら検索については、リコール問題の渦中でも、リスティング広告では販売促進のキャンペーンが展開されるなど、充分な「統合」が図られておらず、キャンペーンの企画・立案段階から検索エンジンマーケティングを担当する部署あるいは代理店などを巻き込んでおくことの必要性を示唆している、といったお話がありました。

【Motivity Marketing Mr. Kevn Ryan】
Motivity_Marketing_Kevin_Ryan

最後に、モデレータの泉より、オフライン媒体のように、直接的には効果を計れない媒体についても、できるだけその効果を可視化していくためには、データを取得・計測するための工夫と、そうして得られたデータの内容や限界をきちんと踏まえた上で、考察や分析を加えることが必要であること、一方で、コンバージョンが測定しやすいというだけで、短絡的な「検索ROI礼賛」に陥ってはいけないこと、などを「まとめ」としてお話をさせて頂き、本セッションは終了しました。

【まとめ】
ad:tech_tokyo_まとめ

ちなみに、本セッションと同じ時刻には『トリプルメディアマーケティング』や『リッチメディア広告』など、今話題のテーマを扱ったセッションも開催されておりましたが、本セッションにも多数の方々のご参加を頂き、誠にありがとうございました。

また、ご多用の中、セッションの準備を進めるにあたり、アイディア出しからプレゼン資料作成まで、常に積極的、かつ期限厳守で、ご協力を頂いたパネリストの方々にも、この場を借りまして、改めて御礼を申し上げます。

ぜひ来年のad:tech tokyoにおきましても、検索キャンペーンの管理・運用や最適化について、最新の情報や取組事例などをご紹介する機会を持たせて頂ければと思います。



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2010.11.01

先日、米国で放送された”Bloomberg Game Changers”というドキュメンタリー番組で、Googleの共同創業者セルゲイ・ブリンとラリー・ページの二人が採り上げられました。

Bloomberg Game Changers: Sergey Brin & Larry Page
http://www.bloomberg.com/video/64111786/

全編約48分かつ全て英語ではありますが、検索業界で仕事をしている方、Googleの生い立ちから、現在および将来の課題までを簡単に知っておきたい、という方には、一見の価値のあるドキュメンタリーだと思いますので、本ブログでは、その概要とあわせてご紹介をしたいと思います。

Sergey Brin and Larry Page

【二人の生い立ち】
・セルゲイは当時のソビエト、ブリンは米国ミシガン州で、ともに1973年にユダヤ人の家庭に生まれる。
・セルゲイの父親は数学者であったが、ワルシャワでの国際会議に参加した際、西側の科学者と交流したことをきっかけに、セルゲイが6歳の時、米国への移民を決意。
セルゲイへの父親の教育方針は「絶対に1番になれ」
・ラリーの父親は、一族で初めて大学に進み、その後、コンピューターサイエンスの教授となる。

【大学時代】
・スタンフォード時代の指導教官によると、二人の性格は「セルゲイは、ノックもせずに教授の部屋にいきなり乱入してくるタイプ。ラリーも、部屋に乱入はしていくるが、一応、その前にノックだけはするタイプ」とのこと。
・当時の検索エンジンは、レスポンスも遅く、かつ品質も低かった。「Alta Vistaで”Alta Vista”というキーワードで検索しても、Alta Vista自身が検索結果に表示されないというありさま。
・これに対し、二人は、まず世の中の全てのウェブサイトをダウンロードして、そこから効率的な検索につながる何らかの「パターン」を見つけようと考えた。
・その結果、行きついたのが「外部リンク」をサイトの評価基準として利用すること。
・サービスの名称は、膨大なデータを整理するというところから「10の100乗」を意味する「Googol」を文字って、「Google」と命名。
・当初は、スタンフォード大学のネットワークの中で立ち上げたが、あっというまに、学校全体のネットワークのリソースを使い切ってしまい問題に。

【Googleの船出】
・本格的なサービスとして開発を進めるには資金が必要ではあったが、当初、投資家達は「6番目の検索エンジン」の必要性には懐疑的であった。
・そんな折、スタンフォードのキャンパスで偶然出会ったアンディ・ベクトルシャイム(サン・マイクロシステムズの共同創業者)に、約20分間のデモを見せたところ、その場で10万ドル(約850万円)の出資を受けることに。(ところが、この時、グーグルは法人を設立しておらず、小切手を換金するための銀行口座も無かった。)
・その後、最終的には100万ドル(約8,500万円)の資金調達に成功するが、その中には、アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏からの25万ドルも含まれていた。

Original Googleplex

・この資金を元手にオフィスを作い、社員の採用も開始。
・優秀なエンジニアを採用するため、入社を希望する者に対しては、全員SAT(日本でいうとセンター試験のようなもの)の成績表の添付も義務付けられていた。
・この頃になると、有力ベンチャーキャピタルであるKPCB・セコイアからもアプローチを受けるが、セルゲイ・ラリーはVCに過剰にコントロールされることを嫌いVCからの「単独出資」の条件は拒絶したが、それでも25万ドル(約21億円)の調達に成功。だが、売上は全くあがっていない。。。
・当時、セルゲイもラリーも、Googleのビジネスを、広告収入に依存するモデルにはしたくないと考えており、特に、検索の品質改善を追求していた二人にとって、検索結果がお金(広告)でコントロールされるということも許容することはできなかった。
・だが、最終的には検索連動型広告「AdWords」のシステムを提供することで、Googleの本当の躍進が始まることになる。(注:検索連動型広告というビジネスモデルを世に広めたのは、オーバーチュアを創業したビル・グロスだが、その点について、このドキュメンタリーの中では言及されていない。。。)
・2000年には10億ページをインデックスする巨大な検索エンジンとなったが、一方で、Googleを創業したのは誰なのかということは、当時、世の中には殆ど知られておらず、このビデオの中では、セルゲイ自身が、「本物は誰だ?」のような番組に出演していた様子も紹介されている。

【急成長そしてIPO】
・Googleが急速な成長を始めるにつれて、出資していたベンチャーキャピタルは、巨大企業の舵取りができるプロの経営者が必要だと考え始めた。
・セルゲイもラリーも、自分達で経営はできると考えていたが、最終的にはベンチャーキャピタルの説得に負けて、外部から経営者を招聘することに合意。
・その過程で、実はスティーブ・ジョブズにも、CEO就任を持ちかけていたというエピソードが紹介されている。
・最終的には、現在もCEOであるエリック・シュミッド氏が就任することになる。
・2004年には株式公開も果たし、時価総額230億ドル(約2兆円)の巨大企業が誕生。

【成長と挫折】
・Gmailは、Googleのエンジニアリング気質が生み出した秀逸なサービスではあったが、その技術先行の姿勢が災いし、サービス提供と同時に「Googleがメールの中身を見ているのでは?」というユーザーの疑念をも招くことになり、その後、今日まで、Googleは「プライバシーの保護」という問題と戦い続けることになる。
・Android携帯や、Chrome・Google Docなど、次々の新たなサービスを展開していく中で、アップルやマイクロソフトも敵に回すことになり、ついにはGoogle自身が、その大きさゆえに「市場を独占しようとしているのではないか?」という疑念や批判を浴びる存在になっていく。
・一方で、「ソーシャルメディア」的なサービスの投入には成功しておらず、フェイスブックのような新興勢力に足元を脅かされつつもある。
・中国進出にあたっては、当局からの検閲要請を受け入れるという苦渋の決断も。(セルゲイ自身は、かつて父親が、旧ソビエトの共産党政権による検閲に苦しんだという過去もあり、彼自身にとっても苦渋の決断であったとのエピソードも紹介。)
・セルゲイもラリーも結婚して、それぞれ一児の父親に。ただ、セルゲイは、パーキンソン病を発症する可能性の高い遺伝子を持っていることが判明。
・そこで、パーキンソン病の治療方法を解明するために、資金や自身の遺伝子情報を提供するほか、研究開発にコンピュータサイエンスの手法を取り入れるといった取組にも積極的に関与。

(by Rod Hiroto Izumi, Founder & Co-CEO, Le Grand)



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